今月のみ言葉  
「『人間の立てた制度に従え』とは」
           牧師 久野 牧
              「教会の声」説教原稿 (月号)   (7月25日、主日礼拝説教より) 

 ペトロの手紙一、2章13−15節
 主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることが、神の御心だからです。
 
 
 (日本聖書協会 新共同訳聖書)

この世では「旅人であり、仮住まいの者」であるキリスト者が最終的に従うべきものは、神の国の原理であると言うことを、ペトロの手紙は強調しています。それは、キリスト者はこの世の権威や秩序や制度に対しては、全くの自由であり、それらに対して何の義務や責任を負うことなく生きて良い、ということなのでしょうか。確かにわたしたちは、ある意味ではこの世の権威から自由であり、この世の権威や制度が信仰者の自由や教会の存立を危うくするときには、それらに従わないという道もありうるのです。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(使徒言行録5:29)と教えられているとおりです。
 しかし、わたしたちが生活しているのは、何らかの秩序があり制度があり、権威が支配しているこの世です。キリスト者と言えども、この世を悪や不正の社会としてではなく、善や正義の社会として成り立たせようとしている制度や秩序を全く無視するわけにはいかないのです。そのことについて述べているのが、2章13−17節です。その際見落としてならないことは「主のために」(口語訳では「主のゆえに」)ということがはっきりと述べられていることです。これによってキリスト者がこの世の制度に関わるときの基本的姿勢が示されています。これは、このような制度に従うことが主のご意志にかなったことであるならばそれに従え、ということです。別の言葉で言いかえれば、主への奉仕と服従の一形態として、人の立てたよい制度に従う生き方が、キリスト者に求められている、ということになるでしょう。制度に従えとの命令が、主のゆえに積極的な意味を持つものとなっています。
 それと同時に、「主のために」という用語は、この世の制度への服従が、決して無条件的、絶対的なものではなく、そこにはある限定が設けられていることが分かります。つまり、地上の人間の立てた制度は、「主に従う」ことを損ねたり、「主に従う」ことを排除したりしない限りにおいて、キリスト者が従うべきものなのです。しかし、実際はこの世の制度に従うことが、そのまま主の御心にかなったものであるということが、必ずしもすべての制度にあてはまるわけではありません。逆に、その制度に従うことが人間性を損なうだけではなく、主イエスへの服従と矛盾する場合もありうるのです。特に社会や国家が、ある特別な思想のもとで、非人間的、非平和的、非共存的な制度を作り出していく場合はそうです。そのような状況の下でキリスト者に求められることは、「主のために」それらの制度に従うことを拒む道を選び取ることです。わたしたちは二人の主人に兼ね仕えることはできません。わたしたちが最終的に選ぶべき主は、わたしたちのために十字架上で命を差し出してくださったイエス・キリストおひとりです。もしこの主への服従を明らかに否定し、それを不可能にするような制度であるならば、わたしたちキリスト者は、主のためにその制度に従うことはできないのです。このようにして、人間の立てた制度やその背後にある思想に対して、「否」を唱えて、警告を発します。それが教会とキリスト者の預言者的な務めです。
 このように「主のために … 従いなさい」という命令・勧告は、この世にあるわたしたちキリスト者の取るべき方向を明らかにしています。これはこの世の制度の単なる肯定でも否定でもなく、この世の制度の中で生きるキリスト者の決断と行動の規準が神中心的であるべきことを示しているのです。この世の国家制度は、「悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめる」務めを持ったものとして述べられています。つまり、それは人間の生活をより良いものにするために作られているということです。そこで上にあって統
率し、支配する権威者たちは、この制度が正しく守られるように、心を配り、与えられている権力を行使します。それが正しく機能するとき、それは神の御心にそった社会の形成にもつながります。このような制度を人が作り出したことの中に、神の知恵が働いているといってよいでしょう。それゆえ、この制度が御心にそって運営されるためにキリスト者が果たすべきもうひとつの務めは、この制度とその上に立つ者たちのために祈ることです。次のことをも心に留めたいものです。「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです」(Tテモテ2:1−3)。
 
 
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