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今月のみ言葉  
 
 「信じる者のことばは」
                             −9月17日主日礼拝説教より抜粋−
 マタイによる福音書 5章33節〜37節 
        牧師 堤 隆        
                                  「教会の声」説教 (10月号)
                                   

「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
 
                                (日本聖書協会 新共同訳聖書)

 誓いの問題は、只単に人間の正直さの問題に留まらないのだと思います。主も正直な者だけをお集めになろうとされたのではないと思います。何にかけてちかうか、天とか地とか次々と挙げられていますが、いづれも「神様の名前」に係わるところから出てきたものです。問題は人間の正直さにあるのではなくて、神の名にある。十戒のV戒に神の名をみだりに唱えてはならないとありますところから、神名にかけて誓うことがはばかられました。そこで、天にかけて誓う地にかけて誓うと言えば、神の名にかけて誓ったことにはならないと考えました。しかし、それはおかしいと主は言われます。天は神の玉座、地は足台、エルサレムは大王の都、直接、口では神の名を言ってはいなくても、神の名を借りて誓っていることに変わりないと主は言われます。そして徹底的に追及なさいます。神の名を借りて誓う欺瞞の正体は「あなたの頭にかけて誓う」ことだと言われます。神の名をみだりに唱えて誓っていない、天に、地にかけてちかっているだけだと言うけれども、しかし、それは言い訳でしかない、言い訳にならない言い訳である。それなら、自分の頭にかけて誓うとはどうしたことか。それは誓うのはこの自分であると言うことに他ならない。結局は、自分の意のままにしたいだけだではないかと主は言われます。そこで、この世は一切があなたの意のままになる世界ではないといわれます。天は神の玉座、地は足台といって、あなたが神の名の代わりに利用しているところは一切神様の支配領域だと言われます。そして、あなたの髪の毛一本一本もまた神様の御支配の下にあると言われます。そうとまで言わないと分からなくなっていたからです。自分の誓うところは自分が保証すると言っても、あなたは自分の髪の毛一本すら、なんとも出来ないではないか、あなたの支配者は神である。あなたを造ったのは他ならぬ神だと、主は迫っておられます。神様の前での真実が問題です。神様の前に真実であるとき、初めて日々のことばが真実になる。妻に対しても、夫に対しても、誰に対しても、裏切るようなを発することがなくなる。「そんなことを言ったって、この世の中、嘘で満ちあふれているではないか」と反論がでそうです。しかし、主はそんな反論を見越すように「あなたがたは『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは悪い者から出るのである」と言われました。信じる者のことばはただ然り然り否否でしかない。これは所謂イエス・マンになれということではありません。本当のことは本当と言い、嘘は嘘だとはっきり言う。これは世慣れた人、所謂大人のすることではないかもしれません。しかし、聖書はこれを主イエスのことばとして、堅く捉えました。ヤコブの手紙5章12節にこの主のことばがそっくり繰り返されています。忍耐と祈りの中で、ヤコブは主のみことばを聞き返し定ます。「兄弟たち、裁きを受けないようにするためには(9節)」と言っています。それを12節でも繰り返しています。9節で兄弟を忍耐しないで、不平を言うなら裁かれてしまう、だから、裁かれないようにと言っておいて、12節でそえは、神様の前に然り然り、否否とする生き方でしかないと言います。そして更に19節以下で、「兄弟たち」と再度呼びかけて注意を促したうえで、「あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へつれもどすならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。」と言っています。このことは、然りしかり、否否とすることに含まれています。これはもう救いのことばで連れ戻す他ありません。神の前に否でしかない罪人が然りとされました。神に造られたときの然りという存在にされました。信じる者のことばは、この主に与えられた救いのことばを日常のことばにします。私たちも救いのことばを兄弟たち、あいする者に語りかける者とされたいと思います。
 

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