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今月のみ言葉  
 
 「光は闇の中に輝いて」
                             −12月3日主日礼拝(待降節)説教より抜粋−
 ヨハネによる福音書 1章1節〜5節 
        牧師 堤 隆        
                                  「教会の声」説教 (12月号)
                                   

 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
 
                                (日本聖書協会 新共同訳聖書)

 「初めに言があった」、これは時間の前後を比べられない「初め」のことを言っています。天地創造以前の「永遠の初」です。こう言って、主イエスのいたまわない時はなかったと告げています。こうまでいいますのは、「暗
闇(5節)」が拡がっていたからです。人間の暗闇、神はいないと思ってしまう暗さが人々を覆っていました。それで、ヨハネは本当に暗闇しかないのかと尋ね、遡って行き、永遠の初めにまで辿り着きました。わたしたちの暗闇、それは絶えることのない心配であったり、出口の見えない悩みで合ったりします。そんな心配や悩みの中で主イエスなどいましたまわないのではないかと疑いだしてしまう。そんな暗闇の中でみことばを尋ね求めて行くのであります。                  
 「万物はみ言によって成った」と言いまして、「みことばによって創造されたものにも命があった」と言います。創造は神様のご意志によってなされた、その創造の生み出したものは命であった。しかも、命あるみことばによって生み出された。命は命からしか生まれない。命のみことば、主イエスから命をいただいていることが、人間の光となります。「光は暗闇の中で輝いている」と言います。あっちにもこっ地にも色々な光があって、光が散りばめられているのではありません。まことに人間を照らす光は、いくつもあるのではない。たったひとつ、主イエスのお命だけである。それなら、暗闇とは何か。創世記の記します天地創造のときの闇は、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり」というものです。ここに向かって神は「光あれ」とのみことばを発せられました。第一の天地創造のときの闇とは、非存在のことです。何もないというだけでなく、混沌・無意味ばかりの闇です。そこに神は意味のある世を造りだしてくださった。ひとが、生きて甲斐ある世を、光のもとにいきていかれるように造ってくださました。
 ところが、その神が造られた世をたちまち闇に逆戻りさせたのが、人間の罪でした。神などいないかのごとく考えて閉め出してしまいました。この神をないがしろにする闇が拡がったとき、主イエスが、光として差し込んで来てくださいました。主イエスの誕生はこの世に再び神の造られた光を取り戻す第二の創造であったと言えます。これは、壮大なスケールの話というだけではありません。具体的な事情が控えた発言です。この福音書を書いていますヨハネは一世紀末にこれを記しました。この一世紀に教会はユダヤ教から異端と宣告され、同時にローマ帝国から迫害を受けるようになりました。この時から迫害は三百年続きました。どこに行っても追放と迫害の手が伸びていました。もう全く出口も見えないような暗闇に閉ざされていました。この暗闇のことが、ヨハネ福音書には何度も語られます。たとえば、ニコデモという人。この人は国会議員にも当たる人でしたが、ユダヤ人をはばかって夜主イエスのもとに来ました。ユダヤ会堂陣営にあって主イエスに共感を覚えるものの、正面切って自分も主イエスを信じるとは言い切れなかった。ここにも闇があります。さらに6章には教会の中に脱落者が出たことを窺わせることが記されています。地上の主イエスの弟子たちが脱落したことに重ねて、ヨハネの教会からも脱落者がでたことをほのめかしています。その同じ箇所に裏切り者といってユダのことが語られています。教会にも裏切り者が出たらしい。ヨハネの教会には脱落者や裏切り者が出てしまうほどに、追放と迫害の闇は、重くのしかかっていました。
 それなのに、驚くべきことに、ヨハネは、そんな暗黒一色、出口の見あたらない、光も差してこないと思われる中で、「光は暗黒の中で輝いている」と証しました。命の危険さえ迫る中で、主イエスのお命は、人間を照らすまことの光である、あなたがたの命はこの主からいただいたものであると明言しました。どんなに闇が拡がろうと、光は闇の中に輝いていると言い切りました。これはもう立派な信仰告白です。 闇は主イエスに対して敵対しますが無理解です。光なる主を阻止できません。ですから、わたしたち自身の闇の中にも主をお迎えしたいと思います。

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