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今月のみ言葉  
 
 「全能の父なる神」
                             −2月4日主日礼拝 説教より抜粋−
 マルコによる福音書10章27節 
        牧師 堤 隆        
                                  「教会の声」説教 (月号)
                                   

 イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
                                (日本聖書協会 新共同訳聖書)

「人間にできることではないが(27節)」と言って、主は「誰も救われない」と裁いておられるのではありません。主はここで独裁者になっておられるのではありません。「神にはできる」と言っておられます。神様だけが救うことができるとおっしゃるっています。神の全能というのは、専ら人間を救うことに発揮される。らくだが針の穴を通されることにではありません。
 主は「人間にはできることではないが、神にはできる」とおっしゃって、父なる神の全能のことを言っておられます。人間の力のこととではありません。弟子たちは、財産のあるのは救われている証拠と考えていました。当時の人々もそう考えていました。私たちでも不幸が重なりますと、神は自分を顧みてくださっているのだろうかと思い始めて嶋します。
 幸せそうな人には全能者が働いており、不幸の中にある人には働いていないという考え方を、主はひっくり返されました。25節は金持ちには出来ないが、らくだにはできるということではありません。らくだが針の穴を通ることが無理なように、それ以上に金持ちが自力で神の国に入ることは不可能であるということです。〜
 それなら、子どもには「できる」が、大人には「できない」ということかというと、そうではありません。あくまでも、主がここでおっしゃっていることは、人はできないが、神にはできるということです。大人ができないこと、金持ちができないことは、もちろん、子どもにもできません。誰に対しても、救いは神様がなさること、神は誰のことも救うことがお出来になると主は言われる野であります。〜
 弟子たちに神の全能を語られるのに「イエスは彼らを見つめて言われた(27節)」といいます。もちろん、睨み付けてではありません。23節には「イエスは弟子たちを見回して言われた」とあります。主の視線・まなざしがたびたび指摘されています。この主のまなざしは、出したちだけに向けられていたものではありません。金持ちの人にも向けられていました。「イエスは彼を見つめて、慈しんで言われた(21節)
」とあります。この「慈しんで」というのは、可哀想にと哀れに思ってというのとは少し違います。直訳すれば「愛して」となります。主は、この金持ちのことを、すでに愛して語りかけられたのでした。愛のまなざしを向けておられた。神の国に入るのに、邪魔ものを抱え込んでしまっている、そんな者をそれでも愛のまなざしで見つめていてくださいます。私の父なる全能の神は、この者を救うことがおできになると見ていてくださるのであります。
 ジュネーブ信仰問答やハイデルベルク信仰問答は、この神の「全能」のことを「摂理」と言っています。国語辞典と漢和辞典の両方を開いてみたところ、どちらにも「人を善へと導く神の意志」と説明されていました。そして、これはキリスト教特有のこととありました。漢和辞典には「摂」は手に着物の裾を集める取るの意ともありました。
一手に引き受け、執り行うことを表している。私たちは、幸福そうなことだけを与えてくれたら、全能の神を信じようとしているところがありますけれども、神の摂理といって信仰問答は「あらゆる現象を導く(ジュネーブ信仰問答)」と言います。ハイデルベルク信仰問答には「どのような不幸さえ、わたしの益としてくださることを疑わない」と解説しています。私は「不幸さえ益としてくださる」というのは言い過ぎではないかと、ずっと違和感を覚えていました。それは、何だか処世訓のように聞こえることもひとつの理由でした。「終わりよけれれば、全て良し」のように聞こえる。また、「信じていたら、何でもうまくいく」というおめでたい幻想のようにも聞こえる。しかし、今回全能の神について聖書に聴き入りまして、そんな心配は吹き飛んでしまいました。父なる神の全能は、そんな処世訓でもなければ幻想でもないと分かったからです。〜
 ローマの信徒への手紙8章には「ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように」とあります。万事です。不遇の中でも幸福の時にも、今も将来も、万事が神様の全能の働く舞台であるということです。
 

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