札幌北一条教会 
 
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今月のみことば
「天にはさかえ、地にはやすき
ルカによる福音書2章1節〜20節
牧師 堤 隆
−12月21日(日)降誕節礼拝説教より抜粋 −
「教会の声」説教(1月号)

 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
                                 (日本聖書協会 新共同訳聖書)

 ルカはクリスマスは平穏の中で起こったのではないと申します。世界中の人々が、住民登録に駆り立てられる中で起こったといいます。身重の女性(マリア)さえ容赦しませんでした。それなのに、羊飼いたちは例外でした。課税のための住民登録でしたから、彼らは数えるに足りない者でした。しかし、クリスマスの出来事は、その数に足りない羊飼いたちを巻き込んで起こりました。クリスマスの知らせが真っ先に飛び込んできたのは、町の人々のところではなくて町の外で野宿をしていた羊飼いのところにでした。夜も寝ないで羊の群れの番をしていました。町の人々が寝入るときにも起きて働く者たちでした。町の人々の冷たい視線によく耐えて、自分たちの仕事に誠実に当たり、仲間と手を取り合って生きていました。主の天使は布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子があなたがたの救い主のしるしだと告げました。生まれたばかりの乳飲み子を飼い葉桶に寝かすことは、当時の慎ましい庶民の間では珍しいことではなかったといいます。けれども、ルカは気になるひと言を添えています。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」(7節)メシアは閉め出されていると言うのであります。しかし、それでも飼い葉桶の中に守られ生かされている。だから、それが羊飼いたちへの救いしるしとなると言います。誠実に働いていても、仲間と共に助け合いながら生きていても、なお閉め出されてしまう。現今の世の様相が重なってしかたがありません。今の世は、誠実とか助け合うなどとは言っておれぬと言わんばかりに騒ぎ立っています。そんな世の中に救い主が生まれてくださった。それが、飼い葉桶に寝かされた救い主です。誠実に責任をもって働くこと、仲間と助け合いながら生きること、そんなことは何の足しになるかと笑われますし、そんなものは通用しないと思わしめられもします。しかし、そんなただ中に、メシアは来てくださいました。無力な乳飲み子の姿をとって、しかも飼い葉桶の中で守られてです。羊飼いたちは、ただ無力なお人好しに終わるのではなく、守られて生きて行かれる、そのしるしが与えられたのでした。
 このクリスマスの知らせが告げられますと、そこに賛美が生まれました。(13〜14節)これは讃美歌98番では「天にはさかえ、み神にあれや。地にはやすき、人にあれや」と歌われています。私は、神学生時代に青年会のクリスマス祝会で、ある長老さんから伺った話が忘れられません。「天にはさかえ、地にはやすき」という賛美は、主の祈りの「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」と同じであると話されました。クリスマスはこの日一日だけのことではなくて、主の祈りを祈る度に、祈り求めているのだとも言われました。本当にそうだなと思って伺っていました。今でもそう思っています。いや、そう信じています。ただ、イエス様のお誕生日を祝うというのではなく、私たちが祈り求め賛美するのがクリスマスだと信じています。「天にはさかえ、地にはやすき」、即ち「みこころが天になるごとく、地にもなさせたまえ」ですから、天と地が結ばれることになります。飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子イエス・キリストが、天と地を結ばれました。(略)
 ルカは15章で天の心は罪人が一人でも悔い改めるなら、それを大喜びする心だと告げています。天の心、喜びの心とは、罪人の救いを大喜びされる神様の心です。この心が天と地を結びました。それで、今も「みこころが天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ることが出来、また「天にはさかえ、地にはやすき」と賛美出来るのであります。天のみこころに触れた羊飼いたちは、自分たちに備えられたしるしを見ようではないかといって立ち上がりました。そうして探し当てると、「神をあがめ、さんびしながら帰って行った」(20節)といいます。賛美と祈りの確信を与えられて帰って行ったのでした。蔑まれ、つまはじきにされている羊飼いの暮らしに帰って行きました。しかし、今や天のみこころに天の喜びに包まれてでした。私たちもこのクリスマスの心に包まれたいと思います。


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