日曜学校生徒のみなさん、今日はこの大きい方の礼拝堂で、こんなに大勢の大人の人たちと一緒に礼拝を守っています。この会堂の中に今、小さいこどもから、お姉さんお兄さん、おばさんおじさん、おばあさんおじいさんまで、いろんな人が集まっています。幼稚園や学校ではこんなにいろんな人が集まることはありません。たぶん、大人の人が通う会社でもこんなことは無いと思います。教会は、みんなで「さあ、集まろう」といって集まったのではなくて、神様が「みんな、集まってきなさい」と言ってくださるので、こんなにいろんな人が集められています。ここにいるみんな一人一人は、神様がお招きくださっているので、今日もこうして教会に来ています。今日は、この「神様に集められた教会」だということを忘れないように、また、喜べるように、こうしてこどもも大人もみんなで一緒に礼拝を守っています。
神様はこどもにも大人にも変わらないお恵みをくださいます。大人にはたくさんあげるけれども、こどもには少しだけということはありません。この神様のお恵みそしてお心をイエス様が教えてくださったことが、今日の聖書に書いてあります。
イエス様は天の父なる神様のお心は、みんなのお父さんやお母さんの心に似ているとおっしゃいました。みんなのお父さんやお母さんはやさしいですか?みんなはケーキやチョコレートといったあまいものが大好きだと思います。やさしいお母さんお父さんだったら、どんどん食べなさいと言うでしょうか?「ご飯なんか食べられなくなってもいいから、ケーキやチョコレートばかり食べていていいよ」という親はいません。もし、そんなことを言う親がいたとしても、それは本当にやさしい親とは言えないと思います。こどもがお腹を壊したり、虫歯になってもかまわないという親はちっともやさしくありません。本当にこどものことを大切にするのが、やさしい親の心です。
イエス様は、この親の心が神様の心と似ていると言って、ひとつのお話をされました。こどもがパンを欲しがるのに石をあげる親はいない、魚を欲しがるのにへびをあげる親はいないというお話です。石もへびも食べられないからあげないというのではありません。親は大人でもこどもをだますようなことはしないことを言われました。わたしたちの食べているパンは白くてふわふわですが、このころのは黒くてかたくて見ただけでは石のようだったそうです。だからといって、親は石をあげて「パンだよ」などとうそはつかない。へびをあげて「魚だよ」とも言わない。へびも魚のようにウロコがあるから、へびを魚だと言ってだませたかもしれない。でも、本当にやさしい心を持つ親はこどもをだますようなことはしない。
天の父なる神様も、みんなのお父さんやお母さんのように本当にやさしいお心を持っていてくださいます。わたしたちになくてはならないものをくださいます。にせものでだますようなことはなさいません。わたしたちになくてならないのは人間の心です。意地悪な心、悪い心、そんな心を神様は喜ばれません。神様は本当の人間の心をあげようと言ってくださっています。
それが「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」です。たとえば、傘を持たずに学校に行って帰りに急に雨が降り出したら、どうでしょう?「だれか傘に入れてくれないかなあ」と思います。そう思ったら、今度自分が傘を持っていたら持っていない人を入れてあげることにしようと思う。こんな小さなことからでもやさしい人間の心になれる。神様のお心を知って神様に喜ばれる人間の心を持つ人にされたいと思います。
大人の方々に申します。今のこどもたちにとっても願いや希望がすぐにかなえられることは少ないと思います。こどもでも意に反することをいくらでも経験しているはずです。だからといって、大人顔負けのように人とは適当につきあってうまくすり抜けるばかりでいいはずはありません。わたしたちの教会のこどもたちには、人間の心をすり減らしてしまった大人にはなって欲しくありません。人間の心をお与えくださる神様の心を知る人にならせていただけるように、祈り求めたいと思います。
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