札幌北一条教会 
 
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今月のみことば
「霊なる神のすまい」
エフェソの信徒への手紙 2章11〜22節
牧師 堤 隆
 6月8日 聖霊降臨節礼拝説教から 
「教会の声」説教(2014年7月号)

 だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。
2:22 キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。
                                 (日本聖書協会 新共同訳聖書)

 本日は聖霊降臨日ですが、これは単に思い出を懐かしむとか記憶を甦らせるという記念日に終わらせることはできません。聖霊は「今に働く神の力」と言われます。ですから、過去に憧れ未来を夢見ることでは受け止められません。本日は、今に生きるわたしたちに神様がどう生きて働いてくださるかということを受け止めたいと思います。  エフェソの教会に対して「あなたがたは以前には」(11節)、と始めて「しかし、〜今や」(13節)と言っています。エフェソ書もやはり「今」を問題にしています。今では「敵意という隔ての壁」が取り除かれたと言います(14節)。「以前には」いわゆる異邦人であるエフェソの人々は、ユダヤ人から「規則と戒律ずくめの律法」(15節)を押しつけられて、互いに「敵意という隔ての壁」を築いてしまっていました。「しかし、今や」それが取り壊されました。神が生きて働かれたのでした。「十字架を通して〜十字架によって」(16節)です。キリストが今に働かれたと申します。
 それなら、今のわたしたちの教会はどうか。エフェソ教会のような人種対立がある訳ではありません。それなら、聖書に記された教会と今のわたしたちの教会は無縁なのか。無縁としていまいますなら、敵意という壁ではないにしても、無縁という壁を作ってしまうことになります。確かに、使徒言行録に記されているペンテコステの教会は盛んに癒しや奇跡を行っています。それに対して、今のわたしたちの教会はそのようなしるしを行っていません。それなら、わたしたちの教会は聖書の教会のように生き生きとした神の働きかけを受けていないのか。もしも、そうだとしたらそれは壁があることになってしまいます。
 エフェソ教会がユダヤ人と異邦人の敵意という壁を現実に取り除いていただいたように、今のわたしたちの教会も聖書の教会との間の壁を取り除いていただけるのだと思います。キリストの血肉(13,14節)によって可能です。既に起こったキリストの血肉によって行われた十字架がどおして「今」に働くのかというところが大切になります。18節には「一つの霊に結ばれて」可能だとあります。この「敵意の壁」は、どちらかが、あるいは双方が手を差し出して和解したのではありませんでした。共に双方が一つの同じ聖霊に働きかけられて同じ「御父に近づく」(18節)ことで引き起こされたのでした。どこまでも聖霊なる神様がキリストの血肉による十字架を、今の和解において再現してくださったのでした。一つの霊に結ばれて御父を礼拝するときに、隔ての壁が外から取り壊される。エフェソの教会で実際に現実となりました。わたしたちの教会もこの一つの霊に結ばれているのですから、もはや、「聖書の教会は・エフェソの教会は理想の教会だけれども、わたしたち教会はとてもとても」と言わなくても良くされています。そんな壁は聖霊が取り壊してくださる。どんなに弱く小さな教会に対してもです。今の教会に手の届きそうもない理想の教会としてエフェソ教会が示されているのではない。この理想の教会を目指さなければ教会とはなり得ないと、叱咤激励されているのではありません。ですから、今のわたしたちの教会にはエフェソ教会のように、神は生き生きと働いてくださらないとあきらめることもありません。そんなあきらめの壁も聖霊なる神様は取り壊してくださいます。「一つの霊に結ばれて、御父に近づく」、即ち聖霊を注がれて父なる神の前に出て礼拝を守るときに壁が取り壊されます。そればかりか、一つの霊に結ばれている者たちは神の家族、土台と同じくする建物にたとえられます(19,20節)。人種、時代を越えてキリスト・イエスにしっかり結び合わされている教会のことです。このキリストの教会は「組み合わされて成長」(21節)すると言われています。キリストの業が今も成長している。だから、わたしたちの教会もこの成長する教会の一員とされていると確信出来ます。
 そして、ついには「キリストのおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神のすまいとなる」(22 節)。今も働き続けてくださる聖霊を祈り求めたいと思います。 

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