札幌北一条教会 
 
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今月のみことば
「恵みの深みに漕ぎだして」
ルカによる福音書 5章1-11節
牧師 堤 隆
 2月22日 主日礼拝説教から 
「教会の声」説教(2015年3月号)

 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。 
                                 (日本聖書協会 新共同訳聖書)

 不漁をかこつシモンに主は「沖に漕ぎだして」、直訳すると「深みに漕ぎだして」と命じられました。この「深み」は暗示的です。夜通し苦労したのに何もとれなかった深みです。全くの徒労を暗示しています。シモンにしてみれば、徒労であるばかりか、失敗・挫折の深みでした。それなのに、主はもう一度あなたの深みに漕ぎだしてみなさいと云われました。もちろん、もう一度徒労に終わらせるためではありません。徒労という深みに沈む者に、神の恵みのことばが、権威と力あることばとしてかけられました。『あなたの深みにわたしが押し出す。』これは、わたしたちがこの礼拝の終わりで受ける祝福・派遣と同じです。どんな深みに沈んでいる者にも、主は派遣と祝福のことばをもって送り出してくださいます。「苦労しているあなたの深みに、わたしはあなたをもう一度送り出す。手ぶらで行かせはしない。みことばの祝福を持たせて行かせる」と主は言ってくださいます。シモンは神のことばを授かったのでした。
 それで、シモンは「おことばですから、網を降ろしてみましょう」と言いました。「神のことばを受けて、あなたの深みに漕ぎ出しなさい」と言われて、徒労という深みを嫌という程知りつつもこうお答えしました。みことばに身を託しました。こ権威あるみことばに信頼したのでした。「よし、もう一度やってみよう」と奮い立たせられました。わたしたちも、何度やっても失敗してしまうとか、何かにつけて思うようにならないことはいくらでもあります。あれもしたこれもした、なのに、どれもこれもうまく行かなかった。そんな失敗に事欠きません。ならば、そこからどう立ち上がるのか。自分の持てる力、努力や気力では限度があります。シモンは不漁・不可能という深みを見せつけらました。しかし、その深みにもう一度チャレンジしてみなさいと言うのは、権威と力のある主のおことばでした。シモンはもはや自分の力や可能性に頼れなくなっているところで、神のことばをかけられました。
 そこで、みことばに従いますと、みことばは生きて働きだしました。おびただしい魚がかかり、網が破れそうになりました。こうして、徒労の深みは大漁をもたらす深みとなりました。恵みの深みとなった。絶望の深みから立ち上がらせて恵みの深みを経験させたのは、主のおことば・神のことばでした。さて、この恵みの深みを経験させられたシモンは、不思議な行動にでます。主の足下にひれ伏すと「わたしから離れてください」と言いました(8節)。信頼の姿勢をとりながら、口を突いて出たのは「わたしは罪深い者です」でした。シモンはこのとき、何か失礼なこと悪いことをしたわけではありません。ただ、恵みの深みを経験させていただいて、自分は神の恵みにふさわしくないと実感したのでした。一体自分のどこに神の恵みにふさわしいところがあるのか。自分自身に目を向ければ罪人でしかない。シモンはここで不思議な体験をしています。自分は神の恵みに値しない者であることを、実際に恵みを受けて知った。これこそ、わたしたちもまた経験させていただいてきたことです。信仰の第一歩です。
 シモンは離れてください罪深いものですからと言いながらも、足下にひれ伏して「主よ」と言って離れませんでした。5節では「先生」と呼んでいたのが、ここでは「主」と呼んでいます。絶対的な主への信頼の中で、わたした罪深い者ですと告白しました。恵みの深みが、ただあなたからの一方的な憐れみによって罪深いわたしに与えられましたと告白しました。
 そんなシモンに主は、もう罪を恐れることはない今から人間をとる漁師にしようとおっしゃいました(10節)。直訳は「人間を生け捕りにする者にする」となります。人間の深みで呻吟している者たちを生け捕りにしてくる。失敗・挫折の深みに沈んでいる者たちを生け捕りにして、主のもとに連れて来る。そうしてまた、一緒に恵みの深みへと漕ぎ出します。「そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った」(11節)のでした。捨てたから従えたのではありません。主に従ったので捨てました。わたしたちも主に従って恵みの深みに漕ぎだそうではありませんか。

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