札幌北一条教会 
 
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今月のみことば
「「立ち止まらない教会」
使徒言行録9章23節〜31節
牧師 堤 隆
 7月30日主日礼拝説教から 
「教会の声」説教(2017年8月号)

  かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。
  サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。
  こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。
 
                                 (日本聖書協会 新共同訳聖書)



 新しい段落を「かなりの日数がたって」と始めています。これは時間的なこともありますが、以前のことと時間的隔たりがあってもなおといいたいようです。以前のこととは、サウロの回心のことです。サウロの回心はよく反省しました、心機一転やり直し始めましたといたものではなかったと言います。回心した時からかなりの日数がたっても、なお回心に始まったことは続いている、終わっていないと言います。
 サウロは更りの主によってみことばを掛けられますと、地に倒れました。そして、目も見えず食べることも飲むこともできませんでした。神に敵対する罪が打ちのめされました。そんなサウロに主はアナニアという弟子を遣わされます。そして、聖霊を受けるよう諭し洗礼を受けさせました。そうして、サウロはダマスコ教会の会員とされて伝道に励むこととなりました。ところが、迫害者サウロを知る人々は驚きましたし、ユダヤ人たちもうろたえました。ここまでがサウロの回心の全容であったと告げていました。そして、この回心に始まったことが「かなりの日数がたって」もなお続いていたと使徒言行録は申します。
 サウロはますますよく反省して伝道に励んだと言うのではありません。いや、伝道すればするほど殺そうとの陰謀につけ狙われることとなりました。そのことが続いていました。とうとう、サウロは夜陰に乗じて城壁から籠で吊り降ろされて逃れさせられました。そうして、エルサレムに戻ります。しかし、エルサレムは決して逃れの町ではありませんでした。キリスト者逮捕のお墨付きをもらって逮捕者を送り込んでいた町です。そこに、迫害者が伝道者となって戻ってきたわけです。当局にしてみましたら裏切り者がお目お目と戻って来たとしか写らなかったはずです。サウロはもともと、避難地としてエルサレムにきたのではありませんでした。「弟子たちと交わろうと試みる」(26節直訳)ためでした。ところが、かつてのサウロを知るエルサレムでは教会でもサウロは容易に受け入れませんでした。「皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた」のでした。
 そんなサウロのために執り成す人がいました。バルナバです。ダマスコでのアナニアと同じ働きをしてくれることになりました。バルナバは自分の土地を売って教会に献げたほどのひとで「慰めの子」と呼ばれていました。エルサレム教会では信頼篤い人でした。そのバルナバが執り成してくれました。サウロが主に出会い、主に語り掛けられたと証言しています。だれよりも先にバルナバがサウロの言うことを信じました。それが恐れを乗り越えさせました。サウロは自分の幻覚や幻聴を実際のことと思いこんでいるのではないし、迫害を徹底させるために弟子を装っているのでもない。たしかに主によって回心させられたことを信じました。
 バルナバの執り成しはエルサレム教会の人々の恐れを解きました。それで「サウロはエルサレムの使徒たちと自由に行き来し、主の名によって教えるように」なりました。サウロがエルサレムの弟子たちと交わろうとした第一の目的がこうして叶えられました。ところがこの度も、めでたしめでたしで終わりませんでした。再び、「彼らはサウロを殺そうとねらっていた」ので、「サウロを連れて、カイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた」のでした。この「下り」はダマスコの城壁から「つり降ろした」と重なります。エルサレム教会もダマスコ教会と同じようにサウロを救いました。
 こうして「教会は〜信者の数が増えていった」といいます。この「教会」は原語では単数形で書かれています。ダマスコ教会もエルサレム教会もあったのに単数で「教会」と言っています。ひとつの教会と言いたいようです。ユダヤ、ガリラヤ、サマリアへと広がっていった諸教会をひとつの教会のことと報じています。キリストの教会の一体性です。この「ひとつの教会」は「平和を保ち」=「平安を得て(直訳)」いきました。迫害は絶えませんでしたが、「主を恐れ、せいれいの慰めを受け」、平安を得ていくことが出来ました。ここに、立ち止まらない教会の秘密があります。わたしたち札幌北一条教会の立ち止まることなく伝道を進めてまいりたと思います。
 

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