札幌北一条教会 
 
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今月のみことば
「み心をもとめて」
使徒言行録15章1節〜11節、22節〜29節
牧師 堤 隆
 10月22日教会創立記念日主日礼拝説教より
「教会の声」説教(2017年11月号)

  ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。さて、一行は教会の人々から送り出されて、フェニキアとサマリア地方を通り、道すがら、兄弟たちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた。エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言った。そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」
  そこで、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」。
 
                                 (日本聖書協会 新共同訳聖書)



 アンティアキア教会による異邦人伝道の進展により、エルサレム教会とこれを巡って、世界で初めての教会会議が開かれることになりました。会議は様々せす。小学校の学級会から一国の国会、更に国連総会のような国際会議まで、様々です。どの会議も、いわゆる「落としどころ」が目指されます。異なった意見を持つ人たちが互いに納得する決着点を求めます。不平不満はあっても、それでも合意しようとする知恵です。はっきり申しますなら、妥協点を見いだすのが会議の目的と言ってもよい。妥協と言う言葉が厭われるなら、折り合いをつけると言ってもよい。ところが、最初の教会会議ではそのような落としどころ、妥協点、折り合いは第一の目的とはされませんでした。ペトロは「神はあなたがたの間で」と語っています。主語は神様です。そして「人の心をお見通しになる神」と続けています。お見通しなどと言いますと、何か心の中の悪巧みを見透かすように聞こえますが、ここにはそのような意味はありません。「心を知る神(直訳)」と書いてあります。異邦人が祝福の言葉を聞いて信じた。その「心」を神様は知り給う。人前でのお体裁ではなく、心から信じたかどうかを知り給う神様です。異邦人が心から信じたと知り給う神は聖霊を与えて「彼らの心を信仰によって清め」られました。心を知る神はみことばと御霊とによって、人の心を清めてくださる。ただ清らかにというのではなく、澄んだ清い心、濁りのない心で神を信じる。神様ご自身がこの心を与えてくださった。この御心が会議において明らかになったとペトロは明言しました。この会議は何よりも御心を求めるものでした。落としどころ、妥協点が第一に求められるものではありませんでした。どこまでも御心が求めて行われました。神様は人の心を知り給う神であって、律法を守ったら認めてやろうなどと考えるお方ではない。そこを見失えば、異邦人をテストするばかりか神様をテストすることになるとペトロはきっぱり申しました。ただこころからの信仰を求めるておられる神様を試みてはならないと言うのでした。
 そこで、この会議の議長役をしましたヤコブ(主の兄弟)は「偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように」と決議したことを宣言しました。ところが、この決議宣言はこの会議にはふさわしくないのではないかと注解者の中で議論されます。この後、会議の決議がアンティオキア教会に通知されますときにも、その手紙の中で同じことが書き送られています。ヤコブはエルサレム教会に属していましたが、この会議の議長です。議長はどんな会議においても公平中立でなければなりません。それなのに、ヤコブはその議長の分をわきまえていないと疑われた訳です。「異邦人を悩ませてはなりません」と議決したのに、偶像に供えられた肉を食べてはならないという掟を命じるのは矛盾している。果たしてそうか。この会議ははじめから落としどころ、妥協点を求めるものではありませんでした。御心のみが求められました。それを最後の最後になって教会会議議長自らが妥協したとは考えられません。この議決は旧約聖書のレビ記を雛形にしています。イスラエルの家の者とそこに寄留する者とが共通して守ることが定められています。議長ヤコブは異邦人に割礼を強いてはいません。会議の結論を導いたペトロと全く同じことを言っています(11節と19節)。主イエスの恵みによって救われることにユダヤ人も異邦人も無い、同じである。このことをヤコブは確認したのでした。
 この教会会議の決定は手紙にして通知されるところとなりましたが、両教会から人を選出して使者として派遣されることも決められました。「ある人々」がアンティオキア教会を動揺させたことにエルサレム教会が関わっていなかったことをはっきりさせるためでした。この「動揺させた」は「心をひっくり返した(直訳)」ですし、「満場一致」は「心を一つにして(直訳)」です。御心を求める会議は教会の心も一つにしました。本日創立記念日を迎えました私たちの教会も専らに御心を求める教会とされていきたいと思います。
 

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