札幌北一条教会 
 
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今月のみことば
回心は召命
使徒言行録21章37節?22章29節
牧師 堤 隆
 2月4日礼拝説教より
「教会の声」説教(2018年2月号)

  パウロは兵営の中に連れて行かれそうになったとき、「ひと言お話ししてもよいでしょうか」と千人隊長に言った。すると、千人隊長が尋ねた。「ギリシア語が話せるのか。それならお前は、最近反乱を起こし、四千人の暗殺者を引き連れて荒れ野へ行った、あのエジプト人ではないのか。」パウロは言った。「わたしは確かにユダヤ人です。キリキア州のれっきとした町、タルソスの市民です。どうか、この人たちに話をさせてください。」千人隊長が許可したので、パウロは階段の上に立ち、民衆を手で制した。すっかり静かになったとき、パウロはヘブライ語で話し始めた。
  「兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください。」パウロがヘブライ語で話すのを聞いて、人々はますます静かになった。パウロは言った。「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。」
 旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。わたしは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入りました。ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。この人がわたしのところに来て、そばに立ってこう言いました。『兄弟サウル、元どおり見えるようになりなさい。』するとそのとき、わたしはその人が見えるようになったのです。アナニアは言いました。『わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』」
  「さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、主にお会いしたのです。主は言われました。『急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。』わたしは申しました。『主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいたりしていたことを、この人々は知っています。また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。』すると、主は言われました。『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」
  パウロの話をここまで聞いた人々は、声を張り上げて言った。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない。」 彼らがわめき立てて上着を投げつけ、砂埃を空中にまき散らすほどだったので、千人隊長はパウロを兵営に入れるように命じ、人々がどうしてこれほどパウロに対してわめき立てるのかを知るため、鞭で打ちたたいて調べるようにと言った。パウロを鞭で打つため、その両手を広げて縛ると、パウロはそばに立っていた百人隊長に言った。「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか。」これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところへ行って報告した。「どうなさいますか。あの男はローマ帝国の市民です。」千人隊長はパウロのところへ来て言った。「あなたはローマ帝国の市民なのか。わたしに言いなさい。」パウロは、「そうです」と言った。千人隊長が、「わたしは、多額の金を出してこの市民権を得たのだ」と言うと、パウロは、「わたしは生まれながらローマ帝国の市民です」と言った。そこで、パウロを取り調べようとしていた者たちは、直ちに手を引き、千人隊長もパウロがローマ帝国の市民であること、そして、彼を縛ってしまったことを知って恐ろしくなった。

 
                                 (日本聖書協会 新共同訳聖書)



 パウロは回心の時、「主よ、何をすべきでしょうか」(10節直訳)と申しました。回心すれば直ぐになすべきことがあると考えた。すると「あなたが行うことは決められている」(〃)と答えられます。神様に決められている。自分の熱心しかなかった者が、神の決定による使命を授けられました。回心から召命へということは全く神様からの祝福です。導き手のアナニアは「わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった」と言いました。

 それで、パウロはエルサレムに戻るとその選んでくださった神様のもと・神殿に行きました。そして祈り続けました。自分に与えられた使命は何かと祈り求め続けた。すると「我を忘れた状態に」なりました。これはエクスタシーと書いてあります。「恍惚」と訳される語です。元々は「エク=外へ+スタシー=在る」ですから、自分の外へ出ることです。パウロは、自分が自分がという自我の中から外へ引き出されました。パウロの召命は自分一人の思い込みではない。ひたすら神様によって選ばれて、御前に引き出されることでした。ですから、パウロの回心はユダヤ教からキリスト教への転向でもありません。先祖の神に選び出されて、御子イエス・キリストを伝える使命が与えられました。キリストの証人へと召命されました。

証人と言いましても裁判所の証人とは違います。キリストを証しすれば困難にも遭うと主はおっしゃいます。証人として証しをしても受け入れられない。それが分かっていて、主はどうしてパウロを証人に召されたのか。主の証人には困難が伴うと告げられたのですが、15節と18節の「証し」という語は後に教会の中で「殉教」を表すようになります。キリストを証すれば困難に遭うし殉教することにもなる。

 それで主は「エルサレムから出ていけ」と言われます。「逃げよ」とおっしゃるのではありません。証しを受け入れない所から出ていくよう命じられます。パウロは躊躇します(19?20節)。自分がキリスト者を迫害する者であったことを「この人々は知っています」と言って躊躇を表します。「この人々」とはエルサレムの人々のことではありません。「彼ら自身」(直訳)ですから、パウロから直接迫害されていた人たち自身です。だからよくが知っている。パウロが証人ステファノを殺した側の者であったことが知られている。パウロは自分はエルサレムの人々ばかりかエルサレム以外の人々にも受け入れられない者であることに躊躇しました。すると主は「遠くの異邦人に遣わす」と言われました。パウロが迫害していたエルサレム近郊から更に遠くの異邦人のもとに遣わす。神様の召命は、パウロが考えていたところを遙かに越えていました。わたしたちも自分の召命はこのあたりであろうと勝手に決める訳にはいきません。常に祈り、神様から示される他ありません。

 このように弁明していますと、これを聴いていた人々は声を張り上げて「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない。」といいました。この叫びと共にまたしても騒ぎが始まります。今度ばかりは千人隊長も自分の権力によって調べようとします。力によって調べるのは拷問です。これに対してパウロは「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭打ってもよいのですか」と言いました。千人隊長の権力にも勝るローマ帝国を相手にするのかと言って拷問を逃れようとしたのではありません。千人隊長が自分はお金で市民権を買ったと言うと、パウロは「わたしは生まれながらのローマ帝国の市民です」と言いました。自分の権利はお金で買ったものではない。千人隊長からのものでもなければ、皇帝のものでもない。生まれながらの権利を自分は持っている。今の言葉で言えば、人権を持っていると申します。神様からいただいたものだから、だれはばかることはないと述べました。わたしたちの回心も召命へと直結しています。洗礼を受けて札幌北一条教会に加えられ伝道へと召されています。本日の教会総会においても、何よりもこの所に立って会議を進めてまいりたいと思います。一回限りではなく常に繰り返し回心から召命へと導かれたいと思います。

 

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