札幌北一条教会
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今月のみことば | |
「神を待ち望め」 |
詩編42篇2節〜43篇5節 | ||
牧師 堤 隆 | ||
12月2日待降節第一主日礼拝説教より |
「教会の声」説教(2018年12月号) |
涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て/神の御顔を仰ぐことができるのか。昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。人は絶え間なく言う/「お前の神はどこにいる」と。 わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす/喜び歌い感謝をささげる声の中を/祭りに集う人の群れと共に進み/神の家に入り、ひれ伏したことを。なぜうなだれるのか、わたしの魂よ/なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう/「御顔こそ、わたしの救い」と。わたしの神よ。わたしの魂はうなだれて、あなたを思い起こす。ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から 42:8 あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて/深淵は深淵に呼ばわり/砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く。昼、主は命じて慈しみをわたしに送り/夜、主の歌がわたしと共にある/わたしの命の神への祈りが。わたしの岩、わたしの神に言おう。「なぜ、わたしをお忘れになったのか。なぜ、わたしは敵に虐げられ/嘆きつつ歩くのか。」わたしを苦しめる者はわたしの骨を砕き/絶え間なく嘲って言う/「お前の神はどこにいる」と。なぜうなだれるのか、わたしの魂よ/なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう/「御顔こそ、わたしの救い」と。わたしの神よ。 神よ、あなたの裁きを望みます。わたしに代わって争ってください。あなたの慈しみを知らぬ民、欺く者/よこしまな者から救ってください。あなたはわたしの神、わたしの砦。なぜ、わたしを見放されたのか。なぜ、わたしは敵に虐げられ/嘆きつつ行き来するのか。あなたの光とまことを遣わしてください。彼らはわたしを導き/聖なる山、あなたのいますところに/わたしを伴ってくれるでしょう。神の祭壇にわたしは近づき/わたしの神を喜び祝い/琴を奏でて感謝の歌をうたいます。神よ、わたしの神よ。 43:5 なぜうなだれるのか、わたしの魂よ/なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう/「御顔こそ、わたしの救い」と。わたしの神よ。 |
待降節を迎えて、「神を待ち望め」と繰り返し歌う詩編42、43篇を取り上げました。待降節は未だに来られたことのないお方を待ち望むのではなく、既に来られた神の御子を待つ信仰を確かにするときです。御子は再びわたしたちのもとに訪れてくださることを約束して天に昇られました。この主のお約束を確信する時として待降節を過ごしたいと願っています。そこで、神を待ち望めと繰り返し訴えるこの詩編を取り上げました。「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう『御顔こそ、わたしの救い』と。わたしの神よ。」この一句が三度繰り返されています。歌ですから、レフレインです。しかも、このリフレインはこの歌の三つの段落を纏めています。うなだれていた魂が(第一段)、神を待ち望むようになり(第二段)、遂に神を救いと告白するようにまでなる(第三段)。見事な構成を持った美しい歌となっています。 |