札幌北一条教会 
 
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今月のみことば
「別の道」
マタイによる福音書2章1節〜12
牧師 堤 隆
12月23日降誕節主日礼拝説教より
「教会の声」説教(2019年1月号)

  イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。 
 
                                 (日本聖書協会 新共同訳聖書)



 主イエスがお生まれになった時のユダヤは闇に覆われていました。東方学者たちが星に導かれたのですから夜でした。しかし、闇は夜の暗闇だけではありませんでした。残虐で有名な「ヘロデ王の時代」もまた、闇でした。そんな闇の世にキリストはお生まれになりました。それなら、闇の世は瞬く間にパッと明るくなったかというと、そうではありませんでした。闇を照らす灯台は遠くまで照らすのですが、「灯台下暗し」と言われます。主がお生まれになった時、まさに灯台下暗しでした。キリスト灯台の下が一番暗かった。クリスマスの知らせは東方の学者から、ヘロデ王、エルサレムの人々、祭司長・律法学者へと伝えられて行きましたが、キリスト誕生に対して次第に疎くなっていきます。まさに灯台下暗しです。著者マタイはその様子を鮮明にして、わたしたちに訴えています。 
 ヘロデ王の暗さと言えば、弾圧政治を敷いて猜疑心の余り妻子まで惨殺した事があげられます。しかし、一方でヘロデ大王とも呼ばれます。現在のイスラエルの遺跡の多くがこの王による建造物であると言われます。ある註解者はヘロデ大王の政治的手腕を4つあげています。①ローマの植民地でありながら、ローマ皇帝の「友」という地位を得ていた。②ローマ帝国の東西地域の防衛責任を分担していた。③その見返りに内政の独立と納貢免除を得ていた。④旧ユダヤ領の返還を手に入れた。ヘロデ大王は傀儡の王であっても超大国の傘の下で自国に繁栄をもたらしていました。「ヘロデ王の時代」はイスラエルの最大かつ最後の繁栄の時代でした。けれども、その大王自身がキリスト誕生の知らせに「不安を抱いた」といいます。自身の統治がひとりの赤ん坊の誕生によってさえ揺るがされる不安があったのですから、「不安な暗い時代」であったと分かります。この不安な王よりももっと暗いのが、側近とも言える「民の祭司長たちや律法学者たち」です。不安を抱いた王は彼らを集めて「メシアはどこに生まれることになっているのか」と問いただしました。彼らは即座に「ユダヤのベツレヘムです」と答えました。それが虚構の支配を補完することなど全く考えてもいません。聖書まで開きながら、全くメシアを理解しない者たちでした。更に灯台の下に近づきますと暗さが深まります。「エルサレムの人々」です。エルサレムの住人はヘロデ王の両極面を知り尽くしていたようです。それで、ヘロデ王が不安を抱くと「同様であった」といいます。王が不安に苛まれれば、大弾圧が始まると不安を抱いたようです。時代の雰囲気には敏感であってもお上を恐れるばかりという暗さを抱え持つ者たちでした。
 さて、マタイによる福音書はこの様々な暗さの根底にあるものに迫ります。暗さの根源は何か。それは言うまでもなく、神の御子をキリストを迎えない所にあるのですが、マタイはそれを鮮やかに描き出します。暗闇の代表のようなヘロデ王はクリスマスの知らせを届けた東方の学者たちに「見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言いました。やはりヘロデ王は頭の切れる巧みな人でした。キリストを拝もうなどとはサラサラ思っていません。しかし、キリストを拝むとでも言わなければ東方の学者たちから情報を得ることは出来ないことを知っていました。
 けれども、東方の学者たちは王の誘いに乗りませんでした。「星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた」のdした。王ではなくクリスマスの星=神の導きだけに従いました。そして、実際にクリスマスの星に導かれたことを喜び、「ひれ伏して幼子を拝み」ました。マタイはこのように描いて、神に導かれて御子を拝むものだけがキリストにお会いできるのだと訴えています。さて、学者たちは王に利用されないように「別の道」を通って自国へと帰って行きました。別の道はただ王の追っ手から逃れるためだけではありません。キリストに出会って拝して、それまでの生き方を変えられたことをいいます。それまでと変わらない自国へと当のキリストに出会った者として帰って行きました私たちも別の道を歩み出したいと思います。
 

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