札幌北一条教会 
 
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今月のみことば
「勝利する信仰」
ヨハネの手紙一 5章1節〜5節
牧師 堤 隆
4月12日復活節礼拝説教より
「教会の声」説教(2020年4月号)

  イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。 
 
                                 (日本聖書協会 新共同訳聖書)



 ヨハネは、世に打ち勝つ信仰と申します。キリスト者であってもお人好しで控え目なばかりであってはいけない、世間に負けない競争力を持たなければならないと言うのではありません。競争に勝つ負けるかが全てということは今も変わりない世です。しかし、ヨハネはそうは捉えませんでした。ヨハネの教会はユダヤ会堂を追放されたかと思えば、直ぐにまた異端によって分裂させられました。世間的には負け組そのものに見えた。ヨハネは自分たちは本当に負けてしまったのかと考え続けたました。世間は失敗と敗北の集団と見るけれども、本当に自分たちは破れ去ってしまったのだろうかと考え抜きました。ヨハネの教会のような迫害や分争とまでいかなくても、わたしたちもいくらでも躓きます。そんな時、一度躓いたらもう生涯、敗者でしかないと思わしめられます。ヨハネはそこのところを突き詰めました。世に負けるのは、躓くことそのものよりも、生涯敗者というコンプレックスを抱えてしまうことではないかと。そこで、こちらの勝負をきちんとつけようと言います。「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です」(4節)と。ここは「打ち勝った」(直訳)と過去形で記してあります。既に勝負して勝った。だから、これからも負けないと言っています。口語訳聖書では「世に勝たしめた勝利の力ある」となっていました。世に勝たしめた力が信仰にはあることをはっきりさせています。
  信仰には力がある、世に負けない力があると言っても、世間の競争力・熱心・篤信ではありません。この手紙は主イエスとの人格的交わりを繰り返し訴えます。勝負はここに掛かっていると申します。迫害と分裂の中で守り通してたことでした。「イエスが神の子であると信じる者」(5節)には、このような勝負の痕跡が見られます。異端は「救い主は神であるはずであるのに、肉体を持った人間イエスはメシア神の子であるはずかない」と言いました。これと闘ってヨハネの教会はわれわれと同じ肉体を持ち地上の暮らしを歩まれたあのお方イエスは神の子であると宣言しました。この実際の具体的な救い主を抜きにしてどこに救いがあるのかと言って勝負しました。
 腕力や理屈の勝負ではありません。実際には異端からは腕力勝負を仕掛けられました。しかし、ヨハネの教会はそれに対して、信仰一本で立ち向かいました。主は既に罪と死が支配する世に勝利してくださっている。イースターの勝利がわれわれにはある。この主の勝利を信じる時、われわれには世に打ち勝つ力が与えられる。そう信じて戦い、実際に世に打ち勝つことが出来ました。これはもう自分たちの力ではない。信仰の力に他ならない。信じたところで何の力にもならないという諦念は微塵もありません。実際に勝利出来たからです。「だれが世に打ち勝つか。イエスを神の子であると信じる者ではありませんか」(5節)。信仰によって実際の闘いを勝ち抜いたヨハネの確信です。人格を蔑ろにする世に勝利出来た信仰です。今も蔓延る「信じても治らない、儲からない、力にならない」という迷妄に打ち勝った者の信仰の告白です。ヨハネは印象的な言い方をしています。「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです」(4節)。信仰者は皆、神様から生み出された者である。「当たり前と言い捨てられないことです。神から生まれるのですから、誕生の一切を神に負っています。赤ん坊が自分の誕生に何ら関与出来ないのと同じです。私たちに出来ることは生んでくださった方を愛することのみです。そして、同じく神様に生んでいただいた兄弟を愛する(1節)。もう、神様に向かって「なぜ生んだ」などと反抗期の子どものようなことは言いません。
 「なぜ生んだ」と吐き捨てる時、既に世に負けています。人格を無視する世、自分自身でも自己中心になる世にあって、そんな世に負けずに勝利するには、生んでくださったお方を愛する他はありません。「その方から生まれた者をも愛します〜神の子供たちを愛します」(1〜2節)は自分が自分がという所から解放されています。勝利する信仰に生き始めています。この勝利に与り続けたいと思います。

 

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