札幌北一条教会 
 
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今月のみことば
命は神の内に隠されて
コロサイの信徒への手紙  3章1-14節
伝道師 田中康尋
1月28日 礼拝説教より
「教会の声」説教(2024年2月号)

  さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。これらのことのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下ります。あなたがたも、以前このようなことの中にいたときには、それに従って歩んでいました。今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。 そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
 
                                 (日本聖書協会 新共同訳聖書)



 さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。
 「キリストと共に」という表現が、念を押すように三度重ねられています。「キリストと共に復活させられた」という部分は、過去形です。「キリストと共に神の内に隠されている」という部分は、現在の状態を表しています。「キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう」という部分は未来形です。したがって、「キリストと共に」と呼ばれる状態が、過去・現在・未来を貫いて、ずっと変わらずにあると言われていることになります。
 「あなたがた」と呼ばれているのは、手紙の読み手です。聖書の読者という意味では、現代の私たちも「あなたがた」に含まれていると考えてよいでしょう。神の前で生きている私たちは皆、過去も現在も将来も、ずっと「キリストと共に」ある。私たちの命の最も大きな特徴は「キリスト共に」あることなのだと、この手紙の書き手は念を押しています。そのことは端的に「あなたがたの命であるキリスト」と言い表されています。
 教会で葬儀が終わった後、遺骨が収められた骨壺には、白い十字架が描かれた黒い布袋が掛けられ、埋葬まで保管されます。「この人の地上の命をひと言で言い表すならば、『キリストと共にあった』ということなのだ」と、十字架のしるしが力強く語っているように、私にはいつも感じられます。
 上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい」と言われているのは、心惹かれる地上の誘惑のことではありません。原文では「地上のものではなく、上にあるもののことを考えなさい」と書かれています。「上にあるもの」、つまり、私たちが経験することのできる領域を超えた事柄についても、しっかりと頭を使えば考えられると言われています。それは、現実の地上の生活から目を逸らして、天上の世界に思いを馳せることではないでしょう。この手紙ではこの後、身の回りの人間関係を丁寧に作っていくようにアドバイスがされています。日々の生活の中で私たちが経験する一つ一つの出来事や、私たちが出会う一人一人の相手の中に、より深い意味を探してみるようにと、この手紙は勧めているのでしょう。キリストと共にある命を生きている自分にとって、今ここで経験していることが、どのような意味を持っているのか。この経験を自分に与えている神の心を、できる限り汲むように勧められているのでしょう。
 

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